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フリーランスエンジニア

「人の役に立つ」ことを優先したい

テクフリ ユーザーインタビューVol.4 フロントエンドエンジニア:K・Hさん 現在、フリーランスのフロントエンドエンジニアとしてだけでなくサーバーサイドエンジニアとしても活躍するK・Hさん。どん底だった長崎でフリーターをしていた時代から、夢であるゲーム業界に入りフロントエンドエンジニアとして活躍するまでの半生をお話していただきました。 また今回は、顔出しNG、イニシャル表示にて本音で語ってもらっています。それでは最後までお楽しみください。 今のお仕事 メインはフロントエンドエンジニアですが、サーバーサイドの方が退職したので、立候補してサーバーサイドも担当しています。フロントエンドはNuxt.js(フレームワーク)を使い、サーバーサイドはPythonを使っています。具体的な業務内容はコンビニ・アプリの管理画面を作っています。 キャリアの出発点 元々長崎でフリーターをしていました。当時、漠然と「Webデザイナーになりたい」と思っていました。もちろん、何も経験がないので仕事に就けず、実家に戻されました。 「どうしようかな?」とアルバイト(ファーストフード店)しながら日々を過ごす毎日で、「下手したらホームレスになるんじゃないか」という焦りもありました。気持ち的に「やばい! やばい!」と日々追い込まれることもあり、この現状を打開するために職業訓練所に通いました。 そこでWebデザインやAdobe Dreamweaverといったコーディングツールを覚えました。元々知ってはいましたが、HTMLやCSSも基礎から学び直しました。 それから東京の小さい会社に入社します。ですが、勤務体系含めブラック企業でした。プロジェクトは「鹿児島の温泉の水を売る仕事」で、それを売り出すためのステマ用のブログを育てていました。それでも一応ブログのデザインはしていたので我慢していました。 その後、ブログの仕事もなくなり、突然「仕事ないので、鹿児島に引っ越して、温泉の水を汲んで発送する作業をお願いできませんか?」と言われれ、即刻辞めました。わざわざ上京したのに酷いと思いませんか。 フリーランスになったきっかけは? 次に正社員として、大手スロットメーカーの子会社に入ります。そこで大きく成長できました。一から育ててもらい、色々な経験をさせてもらいました。そのとき携わっていたアプリ(スマホのスロット)が上位にランキングしたことも嬉しかったです。 ですが仕事に慣れてくると「もっと給料が欲しい」「もっと成長したい」との思いが強くなりました。そんな時、会社に来ていた業務委託の方と仲良くなります。 その方たちが働いていた会社(大手スマホゲームメーカー)は元々私が憧れていた会社で、仕事の進め方やマインドなど見習うべき点も多く、「彼らのようなフリーランスになりたい」と思うようになりました。 そこで「僕も入りたいんです」と相談したら「正社員だと難しいので業務委託になったらどうか」とアドバイスを受けました。後々、業務委託でその会社に行くことになりますが、それは先の話です。僕自身、石橋を叩きながら渡るタイプなのですが、結局フリーランスになる決心をして会社を辞めました。 フリーランスの恐ろしさを経験 最初の業務委託の案件はその会社ではなくメガベンチャーとなります。有名な会社なので嬉しかったです。一方で正社員ではないので「正式な一員ではない」という淋しい気持ちもあり、「気軽に働ける」「上司から煩く言われることもない」「仕事をこなしていれば問題なし」、そういったメリット、デメリット両方を最初の業務委託の案件から経験しました。 それから1年後、在籍していた事業部が縮小し、ほとんどの業務委託がやめさせられて(切られて)しまいました。初めて経験したフリーの恐ろしさですね。真っ先に自分が切られるとは思いませんでした。 次は大手企業に入ります。ですが半年で辞めました。この期間は「自分を見つめ直していた期間」と思っています。辞めた原因は前職との働き方のギャップによるものです。 前職はベンチャーならではの「自由でイケイケドンドン」な社風でしたので、大手企業のお堅い社風には馴染めませんでした。当時、紹介してくれたエージェント(弊社)に「困っている」と伝えると東京駅まで来てくれ、お話を聞いてくれました。一人だと対応できないこともあり、心強い存在でしたね。 そして念願の会社(大手スマホゲームメーカー)の業務委託の案件に就きます。元々ゲーム作りに携わりたいと思っていたので、目的を果たせたのかなと思いました。会社は思い描いていた通り、従業員のモチベーションが高く、他の会社から有能な人がドンドン入ってくる刺激的な環境で、良い影響を受けました。そいう意味でも3年間の在籍期間は有意義でした。 今後の目標 最初にお話したように、今は業務委託として別の会社で働いています。フロントエンドですがサーバーサイドにも挑戦しています。目指しているのはフルスタックです。 フルスタックができるようになり、いろいろなことを知った上でマネージメントができるようになったら理想ですね。今はできることを増やし、自分のスキルをいかにスケール化していくことを考えています。 そして何よりも「人の役に立つ」ことを優先したいです。「いなくてよくない?」と思われたら、辛くなるじゃないですか。常に人に求められる人間になりたいです。
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「自分の好きなことや楽しさを感じる働き方とは?」

テクフリ ユーザーインタビューVol.3 デザイナー:オグヘイさん 現在、ゲーム会社での動画作成や販促物のデザインを在宅で行っているオグヘイさん。上京して新聞奨学生制度を利用しながらデザイン系の専門学校に通いスキルを身につけ、会社員からフリーランスになった経緯までのお話を伺いました。 新聞奨学生として学業と両立 元々好きなことを仕事にしたいと考えて上京してきました。新聞配達店に住み込みながら新聞配達をして、学費を出してもらえる新聞奨学生制度を利用しました。しかし学業と仕事の両立はかなり厳しい環境で、辛い2年間を過ごしました。 卒業後、DTPオペレーターとして大手の印刷会社に就職します。4年程、在籍しました。大手なので安定していましたが「よりデザインに関われる仕事を行いたい」との思いがあって、退職をしました。 その後、派遣社員や小さなデザイン会社に社員として働きつつ、デザインのスキルを磨いていきました。しかし時代の流れもあり、今後はWeb業界に将来性を感じて退職をします。 当時は基金訓練制度という、国から援助を受けて短期間のスクールを行なっている事業がありました。そこでWebの勉強(コーディング等)をしました。同時にWeb制作会社でアルバイトも行いました。 ソーシャルゲーム会社で体調を崩す ソーシャルゲーム会社に入社します。私自身ゲームが好きですし、これまでのスキルも活かせると思いました。最初はゲームのUIのコーディング、バナー、ランディングページの制作や更新も行なっていました。 会社も成長していき売り上げも良かったのですが、成長するにつれ、徐々にいわゆるブラックな働き方の環境になっていってしまいました。例えば就業時間は23時が定時扱いで、それより早く帰ると白い目で見られてしまい、評価をされない風潮でした。 それから体調を崩してしまい、いわゆる鬱に近い状態になってしまいました。上司から仕事は評価されていたのですが、まず何より体が大切で、その体調を回復するためには「残念ながら職場は変わらないので、自分で環境を変えるしかない」と思い、致し方なく転職することにしました。 転職先も同じようなソーシャルゲームを作る会社でしたが、既に体調が良くなかったこともあり長続きはしなく、結局半年ぐらいで辞めてしまいます。 そこでまずは一旦休養期間が必要と判断し、一時期お医者さんにも通いながら生活していました。貯金を崩しながら生き延びる毎日です。 失業保険が入りましたがそれでも生活は厳しいので、カラオケ店で接客のアルバイトも行いました。不思議なことに、体を動かしている内に気も紛れ、体調も徐々に回復していきました。 そこで再度就職する際には体調を考え、残業が少ないWebコンテンツを制作する会社に入りましたが、2年後に倒産してしまいました。会社員としてのキャリアはこれが最後になりますね。 フリーランスになったきっかけ 自分が勤めていた会社の中にはブラックだったりパワハラのような働きの現場もあり、体調を崩すことになってしまったり、倒産した会社では「ゲーム」というものをよく分かっていないワンマンな社長の鶴の一声で内容を変えることになってしまったりと、「会社の組織という世界」での働き方に疑問を持つようになりました。 丁度その頃、日本の古くからの大企業の経営不振によるリストラなどのニュースを見て、終身雇用が崩れているのを感じ、これからは会社員の働き方も安定ではなく、自分の身は自分で守っていくのが必要な時代なのかなと感じました。 また、生涯労働時間が人生の約1/3もあると考えた場合、その人生の限られた時間の中で自分の好きなことや楽しさを感じる働き方をした方が、私は人生が有意義だと考えました。 昔は定年まで辛抱するのが美徳と言われる時代でしたが、その終身雇用も崩れてきていますし、何より生きている今この瞬間を大事にしたいという考えです。 それらの理由から、最後の会社員時代に少しずつフリーランスになる準備をしていましたが、その会社のスマホゲームの売上が低迷で急遽倒産することになってしまいました。 私の準備は万端ではありませんでしたが、まごまごしているうちに年を取って若さも失い、人生の時間も無くなっていきますし、仮に準備が万端だとしてもそれが必ず成功するとも限りません。 そこで失敗しても良いのでチャンスは今行動することで、まずはやってみるしかないと、そのままフリーランスの世界に飛び込んでみました。 フリーランサーとして心がけていること デザイナーも技術の進化を伴う仕事ですし、時代も常に変化しているので、茹でガエルのように現状にとどまらず、常にスキルアップや時代の流れを意識するよう心がけています。 また、在宅での仕事の場合、特に自分で自分を管理していくしかないので、健康や運動不足解消のために運動を少しずつ始めたりしています。 といいつつも、なかなか運動の習慣化は難しいなぁと感じているのですが…(笑) フリーランスになって良かったこと フリーランスでも会社常駐や在宅・リモートの形態など色々ありますが、共通して言えるのは会社員と比べ、もしその仕事や現場が自分に合わなかった場合、ずっと我慢せずに案件を変えることで済むことで精神的に随分楽になりました。 自分はデザイナーとしてまだまだ未熟ですが、フリーランスは自分の力量次第で案件を選ぶことができることがメリットだと思います。 また、在宅・リモートの場合は通勤しなくて良いメリットや、職場での余計な人間関係でストレスを溜めなくて済むのも自分に合っていると感じています。 テクフリを利用して良かったこと 業務内容や自分のスキルにもよりますが、高単価で自分の適正や希望に合った案件をご紹介いただけたことです。中には個人の力ではなかなか働けないような案件の会社さんもあり、良い経験をさせていただきました。 今後の目標 自分にとって興味があり、楽しく仕事ができる案件やスキルアップ、より少しでも高い単価に上げていくことが目標です。 もしゆくゆく仕事が上手く軌道に乗ったら起業も考えたりしていますが、起業が目標ではなく、まずは楽しく仕事をして、生きていくことを今後も目標としてやっていきたいです。 プロフィール:オグヘイ デザイナー経験16年、2年前にフリーランスで活動開始。Web、スマホゲームやアプリUI、紙媒体、直近では動画編集も始めており、幅広いデザインを行うフリーランサー。 ブログ:https://oguhei.net/ ポートフォリオサイト:https://oguhei-design.net/ ※新聞奨学生時代のお話はオグヘイさんのブログで読むことができます。4コマ漫画もあり読み応えタップリです。
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何でも知りたい 挑戦したい!

テクフリ ユーザーインタビューVol.2 サーバーサイドエンジニア:小川 善隆さん 現在、フリーランスのサーバーサイドエンジニアとしてだけでなく代表取締役社長として会社を経営する小川 善隆(オガワヨシタカ)さん。会社員からフリーランスになった経緯、そして自らの資金で会社を立ち上げるまでのお話を伺いました。アグレッシッブな経歴にも関わらず、温和で朴訥と話す人柄のギャップに、厳しいIT業界を生き抜くヒントが隠れていると思いました。それでは最後までお楽しみください。 会社員からフリーランスへ キャリアのスタートはモバイルサイトの運営会社です。フィーチャーフォンの i-mode 開発を経験し、mixi のソーシャルアプリを見てこれは来るなって思いました。 そして、サップで、ソーシャルゲームを作っていました。 当時はモバゲーやGREEなどのSNSゲーム全盛時代でしたので、業界的にも勢いがあり充実した日々を過ごしていました。ですが社会人生活を何年か過ごすうちに「自分の思い通りにならない」あるいは「自分がTOPになるまでには色々な道のりがあり、時間がかかる」と思うようになりました。 さらに「実力で勝負をしたい」また「自由に何か物事を決めていきたい」と思い、会社を退職し、知り合いと会社を立ち上げました。当時は血気盛んでしたので、ほとんど勢いで始めたようなものです。 当時は、お金の流れもよくわからず「やればわかるだろうな」程度の認識でした。フリーランスはコミユニケーション能力の高さが必要なのか? スキルレベルがどの程度必要なのか? もわかっていませんでした。ただ「何でも知りたい、挑戦したい」という思いが強かったです。 友人の会社でフリーランスとして奔走 業務委託、フリーランスの案件を探すのは大変でした。右も左も分からずインターネット上で案件を探し、テクフリ(弊社)のような媒体を利用して、案件を紹介してもらいました。 最初に受注した案件は半年続きます。ですが「常駐ではなく、受託の仕事」にシフトするためにそのような案件に飛びつき、見事に失敗。「これがフリーランスの洗礼か?」と思いました。会社として経営的な観点から受託することの意味をわかっていなかったからです。 そこでまたエージェントを利用し、常駐の案件を獲得しました。エージェントは業界のことを自分以上に理解していますし、頼りになります。個人的に直営業だとクライアントとなあなあ(いい加減)な関係になってしまい、案件を辞める決断もできませんし、単価交渉もできませんでした。その点では客観的な立場で進め、白黒ハッキリさせてくれるエージェントは頼りになる存在です。 友人の会社で学んだこと 会社員時代には知らなかったことを学びました。経理(お金の流れ)や経営的な事柄ですね。「こんなに抜かれていたのか!」や「こんなに経費がかかっていたのか!」とエンジニアだけでは知り得なかったことを知れたのは成長に繋がりました。 「何も決まっていないところから決めていかないといけない」や「経営するってこんな感じなのか」と実感することもありました。経営に当時から興味があったのかも知れません。 自分の資金で会社を立ち上げる 2015年5月に自己資金でAmazing engineを設立しました。現在、アルバイト含めて5名在籍しています。メンバーと共により大きな挑戦に取り組みたいと思っています。 自社サービスにも挑戦したいです。以前も挑戦しようとしましたが、自分のキャパシティー、一人で動ける限界を超えていましたので実現しませんでした。「見積もりが高すぎる」や「やりたい量が多すぎる」など、そういうジレンマや辛さを乗り越えてきましたので、今回はいつになるかわかりませんが実現できると確信しています。 最初に覚えたプログラミング言語 社会人になって知らない状態から覚えた最初の言語はPerlですね。それからPHPを違う会社で学び、今はスマートフォン・アプリのサーバー側でRubyを使用しています。Rubyは独学で学びました。PHPも独学ですね。Perlは会社で教えてもらいました。PHP はPerlを学んだ後でしたので「似たような感じだ」と思い、楽に習得できたような気がします。 フリーランスで必要なこと 危機感がない人はフリーランスにならないほうがいいと思います。今のご時世、大企業も潰れる可能性もあります。危険察知能力は最も必要となると思います。 あと「自分に実力がある」と思っていても「実際にはない」人がいます。これは他人からしか測れないので、人の指摘を聞く余裕が必要ですね。逆にフリーランスに向いている人は「新しいプログラミングに挑戦したい」「色々な環境を知りたい」人ですね。恐れずに飛び込む勇気でしょうか。 今後の目標 経営に集中し、自分なりのブランド、ゲームを作れるような組織体制を作りたいです。そしてフリーランスの延長として起業しましたが、何よりも従業員を大切にしていきたいと思っています。
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一番の危機は安定すること

テクフリ ユーザーインタビューVol.1 Webディレクター: 竹本誠さん 今回はWebディレクターとしてフリーランスで活躍する竹本誠(タケモトマコト)さんにお話を伺いました。意外な業界から転身した経緯や未経験から飛び込んだWeb業界での葛藤など盛りだくさんの内容でお届けします。 そして今回は竹本さんを支える奥様にも登場してもらっています。フリーランスになった当時の心境や今の生活など本音でお話して頂けました。それでは最後までお楽しみください。 メッセンジャーからWeb業界へ 現在はコンテンツ制作会社でフリーランスのディレクターとしてWebディレククションを行なっています。主な業務は新規サイトの進行管理や既存サイトの運用です。Web業界に入る前はメッセンジャーをしていました。自転車便です。走る時はモチベーションが必要で、気合いを入れないと冬の寒い日や雨の日を乗り越えることはできませんでした。 そんな時シリコンバレーのスタートアップ番組で、若いアメリカ人のプレゼンを観た時に「これだけ熱くなれる業界ってあるのか」と感動し、Web業界で働きたいと切に願いました。そしてデザイン系の学校に通い、勉強を始めました。 未経験からの入社 スタートは時給800円 そして転機が訪れます。IT業界に勤める友人の紹介で愛媛のWeb制作会社に時給800円でアルバイトとして雇われます。入社して数日は分からないことだらけでしたが、「やれるな!」という感触はありました。 メッセンジャーの仕事に比べれば、デスクワークは「雨にも打たれず暑くもない」快適な環境でした。また、あまり活気のなかった社内において、僕の長所であるポジティブ・パワーを発揮し、会社に貢献できると確信しました。もちろん最初は雑用でしたが、すぐに案件を任せてもらいました。そして正社員となり半年後には主任(ディレクター)となります。驚くほどのスピード出世でした。 恵まれた出会い 何でも相談できる人 業務が多忙で、独学する余裕はありませんでした。しかし何でも相談できる人がいました。サーバーサイドのことなど、自分が理解するまで付き合ってもらいました。当時は「理解せずに分からないことを分かった」と言わないと決め、徹底的に鍛えてもらいました。 彼がいなかったら、今の自分はいないと思います。人に恵まれていたと思います。結局5年間在籍しましたね。 前職を辞めた理由 一番の危機は安定 退職理由は色々ありますが、立場が上がるにつれて仕事量が増えたことが過度のプレッシャーになり、オフでも頭が休まらない状態が続き、これがこの先何年も繰り返されるのかと漠然と感じていました。 仕事は基本的には同じことを繰り返すので、慣れれば楽になるのでしょうが、それ以上に、もうその職場は自分を成長させられる環境ではないと思ったからです。 自分にとって一番の危機は「安定が見えてくること」そうなると終わりだなと感じていました。 フリーランスへの道 そして転職ではなくフリーランスになる決意をしました。フリーランスの仕事をしている友人の影響と将来的に起業を視野に入れた時、フリーランスはステップとしていい経験になると思い、また自分が「どのくらい実力があるのか」と試してみたいと前向きに思ったからです。 エージェントとの出会い 突然の提案 やはりコネもない状態で探すのは厳しく、何社か人材エージェントにネット経由で登録。しかし、ほとんどの会社が「東京に来たら連絡してください」という消極的な対応でした。 そんな時、遠藤さん(弊社エージェント)から電話があり、何度も東京に行けないことや、僕のスキルやキャリアをお話しすると、「案件入れましょう、面談行きましょう」といきなり決めてきたのです。最初は戸惑いましたが「そこまで思い切りよく提案してくれる遠藤さんに賭けてみよう」と思いました。 結果的には提案して頂いた会社から内定をもらいました。スピード感が滅茶苦茶早く、1社目で決まりましたから、ビックリしましたね。早く働きたかったという事情もあり、スピード即決は嬉しかったです。事前に僕のスキルやキャリアで「何ができるのか?」を考えて頂いていたと思います。本当に感謝しています。 奥様の登場 当時の心境について 「会社を辞めて東京でフリーになる、どうしてもやりたい!」と聞いた時「何かしら自信があったのかな」と思いました。どこかに自信がないと、そう言い出せませんよね。普段から勉強している姿を見ていましたので、私は「そこまで言うなら、やってみろ!」と背中を押しました。そして決心したならば「早い方がいいだろう」と思い、私も会社を辞めて一緒に付いてきました。 フリーランスになって 常に変化していく意識を持つ フリーランスになったばかりの頃(1年前)は「仕事を任してもらうために、短期間で信頼を勝ち取るんだ」と思っていました。求められた仕事に責任を持って取り組む毎日を重ねました。 もし仮に「今の自分のスキルでは対応できるか不安だ」と思ったとしても諦めず、成長するチャンスとしてポジティブに捉え、挑戦していました。オフ(休日)も日々進化するために、しっかり時間をとって勉強しています。景気が悪くなったときに、一番に切られる安定していない立場であるからこそ、常に変化していく意識を持とうとしています。 Webディレクターとは? 基本的には何もできない人ですね。とはいえ、色々な人のハブのようなポジションなので円滑なコミュニケーション力は必要です。また複数の案件を抱えるので、正確なスケジュール管理を求められます。そのためには、色々な知識が必要です。特に客観的な視点を持つことが重要だと思います。 そして何よりも日本語力が大事。プロジェクトには多くの人が関わるので、特定の人だけに分かる言葉は通用しません。みんなが分かる(理解できる)日本語を使わないと、余計なコストがかかります。 今後の目標 もっと広い視野に立ち「自分にとって価値があるものは何か?」それを掘り下げ「より多くの人の役に立てるような人間になる」これが目標です。そして現状維持はしません。人生は山あり谷ありを受け入れ「常に進化していきたい」と思います。 後書き:奥様から一言 奥様:夕食ができ上がった頃に帰ってきますので、コミュニケーションが増えました。二人の時間が多く取れています。以前は、お互いひとりでご飯を食べる生活でした。やはり家族は一緒に食べるのが一番です。些細な事ですが、それが実現しました。ありがとうございます。 プロフィル■名前 :竹本 誠(タケモト マコト)■生年月日 :1984年4月7日 ■ポジション:webディレクター ■出身大学 :青山学院大学
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