お役立ちコンテンツ | フリーランスエンジニアの案件・求人なら【テクフリ】

お役立ちコンテンツ

フリーランスの抱える税金や確定申告、社会保険や経費に関するお悩みを解決いたします。そもそもフリーランスになるためにはどうすればよいのか、現在正社員で働いているが、フリーランスになりたいと考えている方々にも必見です。役立つコンテンツ満載でお届けいたします。

該当コンテンツ数38件中37~38件を表示
フリーランスエンジニア

何でも知りたい 挑戦したい!

テクフリ ユーザーインタビューVol.2 サーバーサイドエンジニア:小川 善隆さん 現在、フリーランスのサーバーサイドエンジニアとしてだけでなく代表取締役社長として会社を経営する小川 善隆(オガワヨシタカ)さん。会社員からフリーランスになった経緯、そして自らの資金で会社を立ち上げるまでのお話を伺いました。アグレッシッブな経歴にも関わらず、温和で朴訥と話す人柄のギャップに、厳しいIT業界を生き抜くヒントが隠れていると思いました。それでは最後までお楽しみください。 会社員からフリーランスへ キャリアのスタートはモバイルサイトの運営会社です。フィーチャーフォンの i-mode 開発を経験し、mixi のソーシャルアプリを見てこれは来るなって思いました。 そして、サップで、ソーシャルゲームを作っていました。 当時はモバゲーやGREEなどのSNSゲーム全盛時代でしたので、業界的にも勢いがあり充実した日々を過ごしていました。ですが社会人生活を何年か過ごすうちに「自分の思い通りにならない」あるいは「自分がTOPになるまでには色々な道のりがあり、時間がかかる」と思うようになりました。 さらに「実力で勝負をしたい」また「自由に何か物事を決めていきたい」と思い、会社を退職し、知り合いと会社を立ち上げました。当時は血気盛んでしたので、ほとんど勢いで始めたようなものです。 当時は、お金の流れもよくわからず「やればわかるだろうな」程度の認識でした。フリーランスはコミユニケーション能力の高さが必要なのか? スキルレベルがどの程度必要なのか? もわかっていませんでした。ただ「何でも知りたい、挑戦したい」という思いが強かったです。 友人の会社でフリーランスとして奔走 業務委託、フリーランスの案件を探すのは大変でした。右も左も分からずインターネット上で案件を探し、テクフリ(弊社)のような媒体を利用して、案件を紹介してもらいました。 最初に受注した案件は半年続きます。ですが「常駐ではなく、受託の仕事」にシフトするためにそのような案件に飛びつき、見事に失敗。「これがフリーランスの洗礼か?」と思いました。会社として経営的な観点から受託することの意味をわかっていなかったからです。 そこでまたエージェントを利用し、常駐の案件を獲得しました。エージェントは業界のことを自分以上に理解していますし、頼りになります。個人的に直営業だとクライアントとなあなあ(いい加減)な関係になってしまい、案件を辞める決断もできませんし、単価交渉もできませんでした。その点では客観的な立場で進め、白黒ハッキリさせてくれるエージェントは頼りになる存在です。 友人の会社で学んだこと 会社員時代には知らなかったことを学びました。経理(お金の流れ)や経営的な事柄ですね。「こんなに抜かれていたのか!」や「こんなに経費がかかっていたのか!」とエンジニアだけでは知り得なかったことを知れたのは成長に繋がりました。 「何も決まっていないところから決めていかないといけない」や「経営するってこんな感じなのか」と実感することもありました。経営に当時から興味があったのかも知れません。 自分の資金で会社を立ち上げる 2015年5月に自己資金でAmazing engineを設立しました。現在、アルバイト含めて5名在籍しています。メンバーと共により大きな挑戦に取り組みたいと思っています。 自社サービスにも挑戦したいです。以前も挑戦しようとしましたが、自分のキャパシティー、一人で動ける限界を超えていましたので実現しませんでした。「見積もりが高すぎる」や「やりたい量が多すぎる」など、そういうジレンマや辛さを乗り越えてきましたので、今回はいつになるかわかりませんが実現できると確信しています。 最初に覚えたプログラミング言語 社会人になって知らない状態から覚えた最初の言語はPerlですね。それからPHPを違う会社で学び、今はスマートフォン・アプリのサーバー側でRubyを使用しています。Rubyは独学で学びました。PHPも独学ですね。Perlは会社で教えてもらいました。PHP はPerlを学んだ後でしたので「似たような感じだ」と思い、楽に習得できたような気がします。 フリーランスで必要なこと 危機感がない人はフリーランスにならないほうがいいと思います。今のご時世、大企業も潰れる可能性もあります。危険察知能力は最も必要となると思います。 あと「自分に実力がある」と思っていても「実際にはない」人がいます。これは他人からしか測れないので、人の指摘を聞く余裕が必要ですね。逆にフリーランスに向いている人は「新しいプログラミングに挑戦したい」「色々な環境を知りたい」人ですね。恐れずに飛び込む勇気でしょうか。 今後の目標 経営に集中し、自分なりのブランド、ゲームを作れるような組織体制を作りたいです。そしてフリーランスの延長として起業しましたが、何よりも従業員を大切にしていきたいと思っています。
フリーランスエンジニア

一番の危機は安定すること

テクフリ ユーザーインタビューVol.1 Webディレクター: 竹本誠さん 今回はWebディレクターとしてフリーランスで活躍する竹本誠(タケモトマコト)さんにお話を伺いました。意外な業界から転身した経緯や未経験から飛び込んだWeb業界での葛藤など盛りだくさんの内容でお届けします。 そして今回は竹本さんを支える奥様にも登場してもらっています。フリーランスになった当時の心境や今の生活など本音でお話して頂けました。それでは最後までお楽しみください。 メッセンジャーからWeb業界へ 現在はコンテンツ制作会社でフリーランスのディレクターとしてWebディレククションを行なっています。主な業務は新規サイトの進行管理や既存サイトの運用です。Web業界に入る前はメッセンジャーをしていました。自転車便です。走る時はモチベーションが必要で、気合いを入れないと冬の寒い日や雨の日を乗り越えることはできませんでした。 そんな時シリコンバレーのスタートアップ番組で、若いアメリカ人のプレゼンを観た時に「これだけ熱くなれる業界ってあるのか」と感動し、Web業界で働きたいと切に願いました。そしてデザイン系の学校に通い、勉強を始めました。 未経験からの入社 スタートは時給800円 そして転機が訪れます。IT業界に勤める友人の紹介で愛媛のWeb制作会社に時給800円でアルバイトとして雇われます。入社して数日は分からないことだらけでしたが、「やれるな!」という感触はありました。 メッセンジャーの仕事に比べれば、デスクワークは「雨にも打たれず暑くもない」快適な環境でした。また、あまり活気のなかった社内において、僕の長所であるポジティブ・パワーを発揮し、会社に貢献できると確信しました。もちろん最初は雑用でしたが、すぐに案件を任せてもらいました。そして正社員となり半年後には主任(ディレクター)となります。驚くほどのスピード出世でした。 恵まれた出会い 何でも相談できる人 業務が多忙で、独学する余裕はありませんでした。しかし何でも相談できる人がいました。サーバーサイドのことなど、自分が理解するまで付き合ってもらいました。当時は「理解せずに分からないことを分かった」と言わないと決め、徹底的に鍛えてもらいました。 彼がいなかったら、今の自分はいないと思います。人に恵まれていたと思います。結局5年間在籍しましたね。 前職を辞めた理由 一番の危機は安定 退職理由は色々ありますが、立場が上がるにつれて仕事量が増えたことが過度のプレッシャーになり、オフでも頭が休まらない状態が続き、これがこの先何年も繰り返されるのかと漠然と感じていました。 仕事は基本的には同じことを繰り返すので、慣れれば楽になるのでしょうが、それ以上に、もうその職場は自分を成長させられる環境ではないと思ったからです。 自分にとって一番の危機は「安定が見えてくること」そうなると終わりだなと感じていました。 フリーランスへの道 そして転職ではなくフリーランスになる決意をしました。フリーランスの仕事をしている友人の影響と将来的に起業を視野に入れた時、フリーランスはステップとしていい経験になると思い、また自分が「どのくらい実力があるのか」と試してみたいと前向きに思ったからです。 エージェントとの出会い 突然の提案 やはりコネもない状態で探すのは厳しく、何社か人材エージェントにネット経由で登録。しかし、ほとんどの会社が「東京に来たら連絡してください」という消極的な対応でした。 そんな時、遠藤さん(弊社エージェント)から電話があり、何度も東京に行けないことや、僕のスキルやキャリアをお話しすると、「案件入れましょう、面談行きましょう」といきなり決めてきたのです。最初は戸惑いましたが「そこまで思い切りよく提案してくれる遠藤さんに賭けてみよう」と思いました。 結果的には提案して頂いた会社から内定をもらいました。スピード感が滅茶苦茶早く、1社目で決まりましたから、ビックリしましたね。早く働きたかったという事情もあり、スピード即決は嬉しかったです。事前に僕のスキルやキャリアで「何ができるのか?」を考えて頂いていたと思います。本当に感謝しています。 奥様の登場 当時の心境について 「会社を辞めて東京でフリーになる、どうしてもやりたい!」と聞いた時「何かしら自信があったのかな」と思いました。どこかに自信がないと、そう言い出せませんよね。普段から勉強している姿を見ていましたので、私は「そこまで言うなら、やってみろ!」と背中を押しました。そして決心したならば「早い方がいいだろう」と思い、私も会社を辞めて一緒に付いてきました。 フリーランスになって 常に変化していく意識を持つ フリーランスになったばかりの頃(1年前)は「仕事を任してもらうために、短期間で信頼を勝ち取るんだ」と思っていました。求められた仕事に責任を持って取り組む毎日を重ねました。 もし仮に「今の自分のスキルでは対応できるか不安だ」と思ったとしても諦めず、成長するチャンスとしてポジティブに捉え、挑戦していました。オフ(休日)も日々進化するために、しっかり時間をとって勉強しています。景気が悪くなったときに、一番に切られる安定していない立場であるからこそ、常に変化していく意識を持とうとしています。 Webディレクターとは? 基本的には何もできない人ですね。とはいえ、色々な人のハブのようなポジションなので円滑なコミュニケーション力は必要です。また複数の案件を抱えるので、正確なスケジュール管理を求められます。そのためには、色々な知識が必要です。特に客観的な視点を持つことが重要だと思います。 そして何よりも日本語力が大事。プロジェクトには多くの人が関わるので、特定の人だけに分かる言葉は通用しません。みんなが分かる(理解できる)日本語を使わないと、余計なコストがかかります。 今後の目標 もっと広い視野に立ち「自分にとって価値があるものは何か?」それを掘り下げ「より多くの人の役に立てるような人間になる」これが目標です。そして現状維持はしません。人生は山あり谷ありを受け入れ「常に進化していきたい」と思います。 後書き:奥様から一言 奥様:夕食ができ上がった頃に帰ってきますので、コミュニケーションが増えました。二人の時間が多く取れています。以前は、お互いひとりでご飯を食べる生活でした。やはり家族は一緒に食べるのが一番です。些細な事ですが、それが実現しました。ありがとうございます。 プロフィル■名前 :竹本 誠(タケモト マコト)■生年月日 :1984年4月7日 ■ポジション:webディレクター ■出身大学 :青山学院大学
<span class="translation_missing" title="translation missing: ja.layouts.footer.icon_back_to_top">Icon Back To Top</span>
TOP